2015年6月18日(木曜日)放送のテレビ朝日・アメトーーク!(アメトーク)では読書芸人のピース又吉直樹さんがおすすめしていた本をまとめました。
ピース又吉おすすめ本
村上龍著「」
古井由吉著「杳子・妻隠」
山下澄人著「コルバトントリ」
ねじめ正一著「長嶋少年」
P・ジュースキント著「ある人殺しの物語 香水」
深沢七郎著「庶民烈伝」
堀本裕樹著「熊野曼陀羅」
町田康著「人間小唄」
庄司薫著「赤頭巾ちゃん気をつけて」
北村薫著「月の砂漠をさばさばと」
筒井康隆著「笑うな」
今村夏子著「こちらあみ子」
西加奈子著「漁港の肉子ちゃん」
本を読んだ人の感想
僕はずっと必要にされなかった。でもね、僕だけじゃなかったんだよ。必要とされてる人間なんてどこにもいないんだよ。全部の人間は不必要なんだ。それが、あんまり寂しかったから僕は病気になったんだー『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍読了 pic.twitter.com/EwtcqT8zgz
— 千秋 (@tiakix) 2014, 5月 25
村上龍「55歳からのハローライフ」読了したが素晴らしかったね。久々にコインロッカー・ベイビーズを初めて読んだときの圧倒された力強い感覚を思い出した。百田某なんてのとは比較にならないわ。
— kenya (@nkenya3) 2014, 5月 10
『コインロッカー・ベイビーズ』は読了後のカタルシスもあまりなければ、安易に人に勧めようとも思いません。オススメした僕の神経が疑われそうだから。しかし、一つだけ言っておくと僕はこの作品が大好きですし、間違いなく日本文学史に残る「名作」であると思います。
— 名前考え中。 (@crystal7letter) 2013, 4月 18
『コインロッカー・ベイビーズ(村上龍)』読了。コインロッカーに捨てられれたが、奇跡的に生き残った2人の物語。非現実なようで実は相当リアルな『衝動』描写だと思った。逃れられない閉塞感、そして安らぎを得るために自己正当化される破壊衝動。程度は違えど誰もが持ってる気がする。 #感想部
— shin higuchi (@shin_hig) 2013, 3月 9
2/5【コインロッカー•ベイビーズ 村上龍著】読了
音は空気の波、祈りとか呪いとか無意識に込められている人の声には宗教的な響きがある
もう僕は決して忘れない、怯えて泣き出す自分を嫌うことはない、その他には、どこを探しても自分は見つからないんだから
–
自分を受け入れる強さ
— Tetsuo Ohgida (@TOhgida) 2012, 11月 20
買って放置していた「コインロッカー・ベイビーズ」をようやく読了。衝撃的だった。猥雑で臭くて、痛くて、もう、いろんなモンがぶち込まれていた。そして、こんな作品を村上龍は28歳とかで書いたと知り、脱帽…。
— じろー (@nagasimeziro) 2012, 10月 27
村上龍著『コインロッカー・ベイビーズ』読了。これほどまでに熱中し読み進めた小説は無かった。心を掴まれ振り回される感覚。繰り返される、「破壊せよ」という命令と胎内の鼓動音。村上龍氏の才能を思い知らされた。彼の内側の血みどろの心を覗き見た。
— 井上栄史(INOUE Hidefumi) (@Def_HI) 2012, 1月 28
「コインロッカー・ベイビーズ」読了。「ダチュラ」と叫びたい。文章からエネルギーがほとばしり、脳内で爆ぜ身体を吹き飛ばそうとする。愛はいらない。優しさもいらない。世界を壊す為のエネルギーが欲しい。僕の「ダチュラ」はどこにあるんだろう。読んだ直後なのですっかり感染されました。
— クドリャフカ (@momonuco) 2011, 10月 31
先程、古井由吉「杳子」読了。
カラダを躯と書いていることに、2015年の今ではあざといように感じつつも読み進めるうちに、カラダが躯である必然性を感覚的に受け止めることができた。それに本を開いたときに、躯という字が浮かび上がるような錯覚を覚えた。
良い、言葉の体験をしました。
— Kitsune Inc. (@Kitsune_CULTIZM) 2015, 6月 15
古井由吉の「杳子」読了。芥川賞受賞時にすでにこの姿勢を確立していたことに驚いた。杳子が山で座っている序盤の描写が、豊かな、けれども病的な精神世界を写し出していて、一気に引き込まれる。男女共に老成している。姉への言及からは不気味さが残る。
— Ryuugoku (@Ryuugoku) 2012, 11月 3
古井由吉「杳子・妻隠」読了。前者は油彩画であり、後者は水彩画である。それは、女の状態に由る。神経の病に居る女子大生と、肉感豊かな人妻。説明に頼ることなく、認識に従うのが両者に共通する特徴である。作者の色が濃い前者、通常の範囲にある後者。ここに登場する男たちはみな、まどろみ、訝る。
— Ryuugoku (@Ryuugoku) 2012, 11月 4
古井由吉「杳子・妻隠」読了。日常の中で染み込んだ生活の匂いを感じさせる文章を書くのが巧い。些細な一文に凝縮されている淫らさを感じさせる澱みが、全体の文章の中ではなぜか整頓されて描き出されているように見えてくる。それは人間が誰しも併せ持つ公/私を表しているようにも思えた。
— 酒井一途 (@itto_sakai) 2012, 4月 17
「コルバトントリ」 山下澄人氏
読了。サンタクロースやトナカイたちだけが「コルバトントリ」へ行くことができるのと同じで、この作品にも氏だけにしか行けない場所がある。それは他の作家のどの作品でもそうなのだろうけど、冒頭から突き放してくれる潔さ。とにかく繊細。快作。(文學界十月号)
— JUNGLE-six (@jungle_six) 2013, 12月 15
文學界十月号・山下澄人さん「コルバトントリ」読了。また泣いた。そして山下さんの小説が何故私を毎回泣かせるのか少しわかってきた。そこに確かにいた人、あったもの、あった想い…愛おしく、大切な、切なくなるものに会えるからかも…。なんて分析より、音楽を聞くようにただ読めばいいのだと思う。
— JUNKO (@junjunkoko) 2013, 9月 14
ねじめ正一「長嶋少年」読了。文章のリアリティがハンパないです。何日かに分けて読んだのですが、夢に出ました…。お母さんが。「パンの耳のない本格的なサンドイッチです。」というフレーズがなぜか好きです。この本の解説はピース又吉さんです。 pic.twitter.com/jssL1ENorj
— naozo (@naozochan) 2014, 9月 23
「長嶋少年」読了。
オール讀物で読んだ「最後のキャッチボール」が可成り端折られていたが涙と鼻水でぐじゅぐじゅになった。
水割りを飲んでいたのだが、缶ビールを開けてあおった。
— Nosferatu (@mahler_no3) 2014, 2月 26
ねじめ正一「長嶋少年」読了。詩人の父さんとは初めて後楽園で長嶋を見た日にそのまま別れました。母さんは僕に関心はなく、僕も母さんのことは嫌いです。僕は長嶋だから人一倍野球に熱心に打ち込みます。同様に思った少年が日本中にいたあの時代特有の哀切を詩人の心を持った少年の筆致で描く大傑作。
— 亘啓之 (@cinemadict68) 2012, 4月 14
ねじめ正一さん「長嶋少年」文藝春秋 読了。野球少年たち長嶋茂雄さんの偉大さを知ってますか?「四番サード長嶋♪背番号3」昭和の子供にとって遊びは野球しかなかった。貧しくてバットもグローブも買えない少年が長嶋さんを通じて成長していく。親子で是非読んで頂きたい。長嶋茂雄は永遠に不滅です
— 九州の本屋さん ちゃんぽん食べたかっ! (@103atom) 2012, 3月 23
パトリック・ジュースキントの『香水』読了。最も言葉で表現しにくいはずの嗅覚の世界をこんなにも豊饒に描き、しかもクライマックスのあの超越性に至るとは。恐れ入谷の怪物的傑作。
— 竹本健治 (@takemootoo) 2014, 3月 18
パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』読了。桜庭一樹さんが読書日記で読んでらしたので。すごく壮大にエンタメに面白かったー!設定そのものが魅力的な上に、びっくりのラスト。途中のエピソードもぞくっとすること数回。文章も良かったなー、ちょっと重厚な雰囲気。
— きまや (@kimaya4125) 2012, 5月 26
パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』読了。
やっぱり面白かった!映画は物語の表現を忠実に再現されていたな。ラストのカニバリズムは映画ではよく分からず終わってしまったから、原作読んですっきりしたわー。映画を見たのも2~3年前だし、大好きな作品だから買おうかなあ
— シオリ (@s_couronne) 2012, 3月 31
パトリック・ジュースキント著「香水 ある人殺しの物語」読了。嗅覚について着目した話であるが、最初から最後まで飽きさせない、読み始めたら最後まで一気に読み終えてしまった。映画化されているから、そちらも観てみたい、どのように脚色され、表現されたか気になる。
— 木密 カナン (@twinlunatic) 2011, 8月 8
深沢七郎『庶民烈伝』読了。庶民は見栄っ張りだ。庶民は屁をする。庶民は強情だ。庶民は嘘つきだ。庶民は世間体を気にする。庶民はほんとどうしようもない。だけどそんな庶民が好きだ。 #読書
— パグ次郎 (@Pug_Jiro) 2013, 1月 22
「人間小唄」読了。とある作家の凋落と破壊。そしてノンストップ不条理。面白いんだか、面白くないんだか、よく分からない不思議な心持ちになりました。慣れない文章という疲労感の一方で、なぜか他の作品も読みたくなるという謎の中毒性があります。それと、某有名Pのパロディは好きですね、皮肉気で
— くつなみ (@kutukabenami) 2014, 6月 1
#感想部 町田康さんの『人間小唄』に爆笑。読了してから久々にまた頭から読もうと思った本に出逢った。盗作・転用した作家を拉致監禁して無理難題を押し付けるという強烈な内容ながら、ひいひい笑って一気に読んで、一見パンクな文章に見え隠れする鋭い風刺に唸らされる。これは文句なしの傑作。
— 橋本ちかげ (@Chikage1568) 2014, 3月 31
町田康『人間小唄』(講談社文庫)読了。
怖えええ。こんな怖い町田康読んだ事ない。
いつもの町田作品であれば、糺田が主人公なんじゃなかろうか。で、小角にどつきまわされて。なのにコレ逆なんだもん。主人公の小角が糺田をどつきまわすんだもん。糺田を気の毒に思う私の感性が既にダメなのか。
— F本 (@f_moto_furuki) 2014, 1月 23
町田康『人間小唄』読了。うーん。普通の人間には勧められんなー。超不愉快になる小説。
文学の中には不快であることが快であるような作品があるが、これは不快であることが不快という感じ。
基本的に読んだものは褒めたいと思ってるんだけど、久々に褒める気の失せる小説に出会ってしまった。。。
— にらた (@pr_nirata) 2013, 5月 31
町田康「人間小唄」読了。パンクだった。文章が。でも一見支離滅裂に見えるくだりに、かなり毒が(途中実在のプロデューサー想定してんだろうなという部分も)。どちらかというと町田さんはエッセイのほうが好きなんだけどこれは面白かった。あと主人公の名前を読めなかった小説はこれが初めてw
— YASUNAGA KAZUTOSHI (@bitheadjp) 2011, 2月 6
『人間小唄』読了。おもしろすぐる。むちゃくちゃでござりますがな。「読者罵倒」(筒井康隆)ならぬ「作者罵倒つーか監禁暴行」。「箱」「書っ」。その美事な破砕ぶり。ドシャメシャ感。すばらしい。どうぞ鶏姦してください。てな感じちゃんがしてくるよ。Really?
— 安田和高 (@95trout) 2010, 11月 8
マチダ先生の新刊、『人間小唄』を読了。ラーメン屋のくだりでぷすぷす笑いが漏れたけれど、一読しただけではわからないことが色々。『真実真正日記』のように、時間をおいて読んでみたら、新たな発見があるかしら。
— ぺちこ (@mpecci515) 2010, 11月 3
町田康『人間小唄』読了。いやはや、ここまで見事に完璧に滅茶苦茶なのって、町田氏でも初めてではないだろうか? 快作、怪作。『どつぼ超然』も読まなくては。
— 佐々木敦 (@sasakiatsushi) 2010, 10月 17
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」読了。'69年芥川賞作品。いつの時代にも自分を見つめることをテーマにした小説がある。オイラの時代は三田誠広の「僕って何」だった。この作品ほそのひとつ前の世代の自省作品。たった一日の出来事の中で青年が脱皮する様を見事に描いている。青年は常にモヤモヤ。
— masayoshi ikeda (@ad9th) 2015, 4月 21
「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫著)読了 納得のいかない現実の中、自分なりの結論を出し、決心する主人公の姿に胸がギュッとなる 押しつぶされそうになった彼の前に現れた太陽の純粋さが眩しくてなにか感動的 主人公の女友達由美が困ったちゃんなんだけどチャーミング 二人の関係が微笑ましい
— よもぎ大福 (@hontounokimiwo) 2014, 7月 4
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』読了。東大入試が中止になり、不安定になった未来と自分自身にどうやって決着をつけるのだろう、と思っているうちに文章に飲み込まれていく。自分をラベリングされることから逃げて逃げてその先に何があるのか?のひとつの答えが、この結末になるのかな〜と納得。
— ぶんぶーん (@bunbooon) 2014, 6月 16
栗本薫『ぼくらの時代』読了。文体が橋本治『桃尻娘』っぽいなあと思ったら出版が同年なのか。これが当時の言文一致体≒「リアル」な若者文体だったのだろう。野崎孝訳JDサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』&庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』からの流れなのだっけ。生まれる前のことは分からぬ。
— mkszk (@m_k_szk) 2013, 10月 30
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』読了。主人公の高校生は自分の知性なり感受性なりを絶対視しようとするが、一方でそうした感覚が思春期にありがちな卑小なものにすぎないという事も何となく自覚してて、しかしそこまで自覚してるんだから自分はやっぱり頭がいいという延々たるジレンマを繰り返す話。
— れもんらいふ@結局はれもんに一途 (@lemonlife_8bit) 2013, 6月 27
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」読了。キャッチャー(というかライ麦)の邦訳とは確かに類似点が多い。文体もプロットも。まあ模倣、影響、偶然の一致、何でもいい。いずれにしても「ライ麦」に比肩するような作品ではないのだから。それにしてもこの甘ったるいタイトル、何とかならんかね。
— コウジイシカワ (@ishikawakoji22) 2012, 6月 17
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」読了。序盤は自分の苦手なタイプの文体に圧される感じで読み辛かったけど、段々面白くなってきて結局最後まで読めた。バックになってる時代が自分の感覚とは違いすぎるかな、とも思ったけどそう感じてても読み進められる面白さは有った。
— 竹裕@I am FENIX (@shinebalance) 2012, 3月 29
北村薫「月の砂漠をさばさばと」読了。さきちゃんとお母さんの生活に密着した物語。日常って、あったかい。このお母さんに育てられたさきちゃんはしあわせだ。こんな生活をしてきたからこそ、あの優しいさきちゃんに育ったんだろうな。こどもを真っ直ぐに育てるのはおとなの責任だ。
— ともみん (@puppa14) 2013, 7月 13
北村薫『月の砂漠をさばさばと』読了。友達っぽいノリの、さきちゃんとお母さん。普通の親子の、普通の日常。だけど、どこかキラキラしている。お茶目なやり取りが楽しく、ほのぼの和む。おーなり由子のほんわかしたイラストが、ぴったり。こういう作品も書くんだ、と意外。 #読書 #dokusyo
— コロッピー (@KOROPPY) 2012, 8月 3
北村薫の短編集「月の砂漠をさばさばと」読了。えっと。泣いた。特に表題作の「月の砂漠をさばさばと」。全部読み終えてから、何で泣いたんだっけと思ってバスの中でもう一度読み直したらまた泣いた。たまらん。
— 杉田協士 (@kyoshisugita) 2010, 2月 19
筒井康隆『笑うな』読了。ショートショート三十四篇。先輩からお借りする。
毎度の風味、筒井先生。面白いです。通勤の時間に、時間潰しのために読むのが、勿体無いです。「最初の混線」と「猫と真珠湾」と「産気」は笑いました。絶対にやにやしていた。恥ずかし。
— 瓜羽 (@caba_ne) 2014, 7月 25
筒井康隆『笑うな』読了。「スラップスティックでブラックな味のショートショート」に幻惑。そのうち「鬼才」を辞書で引いたら筒井康隆と出てくるんじゃないか。この世にけたぐりをかける文芸的妄想に、手つかずの不思議な感情がゴリゴリ揺さぶられた。結界を破るのは鬼の所業だろ。
— りんだりんだ (@ichigekihits) 2013, 5月 17
筒井康隆『笑うな』読了。ショートショート集。意味がよく分からなかったり、パンチが弱かったり、拍子抜けした話が結構あってちょっとがっかり。面白かったのは「遠泳」「ブルドッグ」 #読書
— でじ (@DG710n) 2012, 9月 20
吉田知子選集3冊目もとうとう読了。表題作「そら」を読んでいるとき、「こちらあみ子」を思い出していた。「そら」が1971年の作品ということを知ると、またいろいろな思いがよぎる。物語の中を貫く視線が、誰かと交わることなく真っ直ぐであるほど、何だか愛おしさが募ってゆく心地になる私です。
— ましろ (@massirona) 2015, 5月 1
今村夏子『こちらあみ子』読了。前に穂村弘が書評を書いたり川上未映子との対談でおすすめしたりしていたので読みたいリストに入れていたのですが、読んでいてぐらぐらした。表題作も別の短編「ピクニック」も不安→確信という感じで、何がすごいってこの話にでピクニック」というタイトルなのがすごい
— mariekko (@stem910) 2015, 1月 31
今村夏子『こちらあみ子』読了。何に付き合わされてるのか分からないままずーーっと読み続けてて気づいたら終わっていた。これって面白いっていうのかな。これ書いたひと何者なんだろう。チョコでコーティングされたクッキーを見るたびにこの本のことをもやもやした気分で思い出すんだなーたぶん
— 松本てふこ (@tefcomatsumoto) 2014, 9月 20
今村夏子『こちらあみ子』読了。表題作と「ピクニック」「チズさん」の3編。いや、この表題作は凄い。読んでる最中よりも読み終わってからじわじわとくる。軽度の知的障害の女の子の視点から、彼女の存在によって家族が壊れていく様を描く小説なわけだけど、あみ子は自分が変だということも、(続
— 浅木原忍@1日目ヌ37b (@asagihara_s) 2014, 8月 28
今村夏子『こちらあみ子』読了。
うまい!云えば簡単に済むことを、情景描写と小道具だけで表現する。愚直に云うと表題作はいじめに流産に離婚だし「ピクニック」は妄想女だし「チズさん」は痴呆。でもそんな言葉は隠される。純度が凡百を超えている。おもしろくて少し泣きたくなる。オススメ。
— 阿部英樹 (@omelette1975) 2014, 7月 7
『こちらあみ子』(今村夏子/筑摩文庫)読了。「読むと、きっとあみ子のことが忘れられなくなる」という帯コメントがすてき。かわいそう、わずらわしい、伝わらない、というかなしい想い以外に、特定できないきらきらしたものがわきあがってきて、なんかもう、うなってしまう。
— nyama (@yamagus13) 2014, 6月 13
今村夏子『こちらあみ子』読了。表題作は、主人公がASであるという解法を先に与えられてから読んでしまったこともあり、「適切な療育」をされなかった他人を見る心地になった。一方で、自分を見ているような気分も味わう。解法がなかったら、後者の感情のほうが優勢だったかも。併録作もぞわわ。
— べじ (@gailyvege) 2013, 6月 28
今村夏子「こちらあみ子」読了。世界に対しておぼえる愛おしさ、そしてなによりさみしさだろうか。いっそ無防備ともいえそうな笑いにくるまれた物語のなか、じわじわとこみあげてくるそんな感情に打ちのめされてしまう。いや、すごいなあ……と。久しぶりにしょっぱくないほうの涙を流させてもらった。
— タペンス (@tapensu) 2013, 2月 7
今村夏子著 こちらあみ子 読了。すごい。表題作のこちらあみ子がとにかくすごい。救われない。かわいいとかかわいそうとかもうそういう話じゃないよ。救われない。でもやさしく感じるのはなぜ。読後の温かさが不思議。もうひとつの書き下ろしはついつい笑ってしまう☆女子の妄想ってやつは!
— SUGAR. (@emi_humminglife) 2012, 8月 6
西加奈子「漁港の肉子ちゃん」も一昨日読了。
絵本の様な読み心地なのに随所に効果的な伏線が張られている辺りが妙で、しかししてやられたりと言う感じ。
暖かい笑いのセンスも予想通りやし、会話のテンポも流石。
突っ込み過ぎない力加減、これはなかなかこなせる芸当ではありません。
— 佑依-Yui- (@YUI19880502) 2015, 4月 22
西加奈子『漁港の肉子ちゃん』読了。タイトルのインパクトに負けて駅前の本屋さんで思わず購入。クスクス笑えるところもあるし、終盤は泣けちゃって電車でずびずびと鼻をすするはめに。愛しい肉子ちゃんの放つ暖色の光が終始この作品を包み込む。
— さゆりんご (@lilylittlelab) 2014, 5月 7
西加奈子「漁港の肉子ちゃん」(幻冬舎文庫)読了。肉子ちゃんの存在感に圧倒されるファンタジー(だと思う)。「あんた、そのままで良いんだよ」と、観音様みたいな肉子ちゃんが言ってくれる感じ。焼肉屋さんで思いきり「ミスジ」を食べたくなりました。「後がき」「文庫版のための後がき」も必読。
— 原田 英男 (@hideoharada) 2014, 4月 20
西加奈子『舞台』読了。改めて、西加奈子さんの作品が好きだ!と思わされた。ここ最近の作品は私好みすぎる。『漁港の肉子ちゃん』、『ふくわらい』と、たまらなくいいなーと思っていたら、今回の『舞台』もよかった。西加奈子作品の中では比較的あっさ,りしていたけど。
— わたなべ (@nabe1000) 2014, 4月 17
「漁港の肉子ちゃん」読了。爆笑しながら号泣という状況に、人生で初めて遭遇して動揺している。何だこれ!?
役割を持って生まれた人は、その役を全うできるようになってるんだな。偶然に見せかけた必然ってあるんだな。世の中はきっとそんなものだらけでできているんだろう。
— Emi (@eizumi913) 2013, 5月 30
10時から3時間かかって、西加奈子
「漁港の肉子ちゃん」読了。
愛しいと疎ましいは、別物のようで、実は繋がっているのだなと思う。肉子ちゃんの陽性のエネルギーに似た、西加奈子の小説が持つ圧倒的肯定が好きだ。日常の些細な悩みがどうでもよくなる、生きていていいのだという肯定に救われる。
— 来花 (@laica_3969) 2012, 4月 8
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